最新のお知らせ
観光課の夏期休業に関して
観光課の夏期休業に関して
観光課の夏期休業期間についてお知らせします。当該期間は、観光化による観光案内は行われておりません(電話対応含む)ので、ご注意ください。
ごみの持ち帰りのお願い
ごみの持ち帰りのお願い
観光でお越しいただいている方へ、ごみの持ち帰りのお願いです。
昨今、一部の心ない方によって、食べ物、飲み物などのごみが村内に放棄されております。……
(重要)気賀ノ沼にお越しの方へ
(重要)気賀ノ沼にお越しの方へ
気賀ノ沼にお越しの方へ重要なお知らせです。
この時期の気賀ノ沼では、例年、気候等の影響により、沼地周辺が非常にぬかるんでいます。
今年は特にその傾向が強く、しばしば撮影スポットとして活用されている複数の箇所も、極めて危険な状態です。
名所案内
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広花路 -
広花原 -
わらのむらの冬 -
わらのむらの夏 -
わらのむらの秋
わらのむらの秋
わらのむらの「もっとも美しい季節は秋である」と詠ったのは、歌人でもあった古河天斎翁です。
西の林道には丁度山道へと向かう通称「お堂通り」では、自然の不思議な差配によって、光の道が作り上げられます。この道の先は、山中を抜けて外界へと至る村の出口でもあるため、古の村民は、この道に特別な思いを持っていたようです。
花吹く春、風薫る夏、星降る冬に勝るは、頬染める秋。
秋は藁埜村の季節であろうか。天斎翁の遺稿には、こんな句も残されています。
朱雪
こちらは紅葉に萌ゆる秋の風景。わらのむらでは、「朱雪」と呼び、その美しさと厳しさを体現する季語となっています。
ですが、写真のように秋が終わらぬうちに雪が降ることもあるのが、山に囲まれたわらのむらの日常です。かわいい秋の画ではありますが、これから先の厳しい冬を想起させる一枚です。
文章: ( )
写真: ( ) -
古集落の跡
古集落の跡
わらのむら役場のある本郷地区から東に向かうと、昔ながらの造りの建物が残っています。
若武者伝説の時代の村の中心地は、この辺りだったとされています。今では廃屋に近い状態ですが、四半世紀ほど前までは手入れをする村民もいたそうですが、近年ではそういった人もおらず荒れ気味になっています。
幾つか整備されている家屋がありますが、これは村外からボランティアで修繕にきたくれた方のおかげです。写真は、そういった修繕が加えられた家屋群です。
古蔵
打って変わってこちらは、完全な未整備の蔵です。南西の山中にある古びた蔵です。昔は林業の道具などを保管していたそうですが、最近は使用されておらず、ご覧の通り朽ち果てています。
若武者伝説の時代には、こういった蔵が山中のいたるところに点在しており、鍬や鋤を始めとした"武器になるもの"が保管されていたそうです。山賊に対抗するために、撃退した山賊から奪った刀などもあったとされています。
文章: ( )
写真: ( ) -
気賀ノ沼 -
鬼来ヶ池
鬼来ヶ池
村の北北東には鬼来ヶ池があります。
名前の由来は幾つかありますが、比較的信頼できる史料によると、「鬼の来る池」の意だそうです。この場合の「鬼」とは、恐ろしきものの象徴であり、つまりは山賊のことであるとされています。
若武者伝説や山賊調伏伝承で語られる山賊の襲来が、この池の方角から起こったとされていおり、名前の由来もここに求められるようです。
村の北境でもあるこの方角は、昔から村を襲う山賊の格好の侵入経路であったようで、もともと「鬼の来る方角」として警戒されていたらしい。
池の面積はそれほど広くなく、水辺にはワタスゲや固有種であるワラバゲが群生している。写真にもワタスゲがちらほらと見て取れる。
文章:井乗文人(校正クリエイターズ)
写真:宙太(フリーフォトグラファー) -
雲泰山(南西) -
雲泰山(南東) -
雲泰山(北北西) -
雲泰山(北) -
玖若神社 -
寄山駅 -
天斎庵 -
地蔵菩薩像 地蔵菩薩像
わらのむらには、若武者伝説以前から多くの山賊が襲来しており、四方を山に囲まれた地政学的にも、こういった厄災からは不可避であったと言える。
かといって村民はそういった山賊に無抵抗であったのかと言うとそうではなく、山中に点在する古蔵に見られるように、各所に武器を隠し持ち、どこから攻められても一先ずは地の利を以って逃げ抜き、武器を調達して散兵的に反撃するという戦略を取っていたという。
写真にある地蔵菩薩像は、こういった山賊の遺骸を弔ったものとされている(村民の墓とは離れた位置にあるため)。
自分たちを襲った山賊たちを、どういった心情で弔っていたのか、推し量る術は少ないが、筆者などは、戦乱や飢餓によって已む無く身を崩した山賊に対する同情もあったのではないか、と推測するのである。
文章:井乗文人(校正クリエイターズ)
写真:宙太(フリーフォトグラファー)